1.日本文化の特質一模倣から超越へ
文部科学省と科学技術振興機構が推進する「センター・オブ・イノベーションプログラム(COI)」のひとつ、東京藝術大学(以下藝大)の「「感動」を創造する芸術と科学技術による共感覚イノつベーション拠点」では、オリジナルの精細な画像データから質感、形状、素材、色彩、さらには文化的背景までをも再現する「クローン文化財」の特許技術を開発した(注I)。文化財は唯一無二の存在であり、その真正性は本来、複製が不可能である。その一方で、文化財の複製の歴史は古く、文化財の記憶をより広く長く継承したいという思いは、普遍的・根源的なものであると言える。クローン文化財は劣化が進行しつつある、或いは永遠に失われてしまった文化財の本来の姿を現代に甦らせ、未来に継承していくための試みであり、従来の代替品としての複製品、コピーやレプリカと言われるものとは一線を画すものである。
日本の文化は古来、「うつし」の文化、すなわち模倣によって育まれてきた文化であった。かつて西の文化が東の文化と混在を繰り返しながら、シルクロードを渡り、日本へと伝えられたが、日本ではその文化を受容し、模倣し、変容し、そして超越して独自の文化を生み出してきた。我々は真似ることで学び、独自の優れた文化を築き上げてきたのである。たとえば日本画は千数百年の時を経た現代においても、その伝統的な技法と材料を守り、受け継いでいるが、東洋絵画として源を同じくする中国や韓国ではその技法材料は一時断絶してしまった。現在では日本が発信する側となり、保存修復や美術教育の面で中国・韓国における伝統絵画の復興に貢献している。
受容した文化を模倣し、より優れたものへと高め、縦承し続けてきた日本文化の特質は、現代的なジャポニズムとして世界に誇れるものである。
優れたものを真似ぶ(=学ぶ)ことで自らの芸術を高めることは、教育の現場でも実践されてきた。藝大文化財保存学専攻の保存修復日本画研究室では、模写と修理の授業を行っているが、これは単に作品の図柄や色彩を写すのではなく、技術や精神の継承を目指して始められたことであった。模写には様々な手法があり、たとえば中国の美術教育で主流であった臨模(注2)は運筆の修練を目的とし、模写の正確性より技術を体得することに重きを置いている。しかし、一作品の模写に長い時問と労力を要することと、原本を忠実に写すためには非常に高い 技術が求められることから、藝大では模写教育の方法として作品の原寸大写貞を使った上げ写し(注3)を採用した。ただし、写真資料を利用する上げ写し手法も、透き写し(注4)とは異なり図像を完全になぞって写すわけではない。残像を頼りに写し取るため、こちらも摸写の正確性にはやや難があった。こうした画学習の領域では、模写は「作品をよく観察し、人の手で写す」という修練の意味合いが強かったため、どんなに図像を正確に、効率的に写すことができるとはいえ、デジタル技術の導入はタブー視されていた。
しかし、古い慣習にとらわれず、伝統技法と新しい技術の混在を図ることで、模写も進化するのではないか。技術が発達し時代が変化する中で、我々はタブーをひとつ打ち破り、主に博士課程の復元模写研究や受託研究において、デジタル技術を用いた画像処理や線描抽出、欠捐部の復元シミュレーションなどを取り入れるようになったのである。こうした従来の発想を打ち破る模写技術の開発が、クローン文化財の制作の発端となった。
2.芸術のDNA
文化財を実物そっくりに複製・復元する新たな技術の名称は、生物のクローンになぞらえて「クローン文化財」と名づけた。クローンとは、生物の細胞から作った元の個体とそっくりな別の個体であり、元の個体とクローンのDNA情報は一致する。では、クローン文化財で考えた場合、芸術のDNAとは何だろうか。
DNAは生物の細胞内で遺伝情報となるデオキシリボ核酸の略称で、先祖から子孫、先人から後縦者へ連綿と伝わるものを「〇〇のDNA」と喩えることもある。芸術作品においてDNAに相当するのは、まず、素材が挙げられるだろう。次にそれを生み出した技術・技巧である。
そして、感動を生む精神性も重要な要素ではないだろうか。同素材に由来する質感と、先人の知恵や技術、そして作品が人に与える感動、それら全てが伝えられなければ、DNAを受け継ぐ「クローン文化財」とは言えないのである。クローン文化財は、文化財の素材や形状・技法の研究・科学分析等のデータに基づき、高精細画像や三次元(3D)プリンター等を利用しながら色や質感を再現し、細部は人の感性と手わざで仕上げる。デジタル技術とアナログ技術を適材適所に組み合わせ、技法材料や文化的背景など、芸術のDNAに至るまで完全に再現することを目指している。
特許を取得後、この複製技術を国内外に広く認知してもらうための名称を決める必要があった。人々がその本質を即座に得心するような名前を付けなければ、ものや技術は一人歩きしていかない。「複製」は英訳すると「コピー」や「レプリカ」という寂しい名前になってしまうが、特許を取得し複製画の印象を大きく変えた今回のプロジェクトは、ただ単に「複製画」という領域に紛れ込むと真実が伝わらないと感じられ、命名に苦慮していた。クローンという名称に思い当たったのは、上野公園を歩きながら、ソメイヨシノの桜を見上げたときのことだ。接ぎ木によって優れた形質を保ちながら全国に広まったソメイヨシノは、全て同じ遺伝子を持つクローンとして知られている。桜は日本を象徴する花であるし、クローンとしてのイメージも良い。[クローン文化財]の名で2016年秋に商標登録を行ったが、作品を提示しながら説明するととても理解が得やすく、海外でも好意的に受け入れてもらうことができた。
日本語で「複製」と言われるものは、おおむねマイナスイメージが強い。これは所有者や作者に無断で複製を制作し、本物と偽って利益を得る悪例が存在するためである。また、複製が流出し、本来の意図と離れたところで「贋作」となってしまうケースもあるだろう。複製品本体の管理は勿論、制作や展示に際しの情報管理も重要であるといえる。我々は所有者の依頼なしに勝手にクローンを制作することはない。高精細複製技術が悪用されないためにも、特許を取得し、商標登録することで、他者が安易に贋作を作ることができないよう、クローン文化財の技術が不正に利用されることがないようげ厳密に管理している。
また、クローンといっても、実はオリジナルとまったく同じものを作っているわけではない。
我々い制作の原点は、模倣から「超越」することであり、同素材・同技法で形状・質感を忠実に再現するだけでなく、剥落や欠損、 変退色している部分等は資料や専門家の意見を参考に、イメージを損なわないよう復元することもある。あくまでオリジナルの DNA を受け継ぐ、新しい芸術を生み出すことを目指しているのだ。最新のデジタル技術を駆使することで、オリジナルはそのままに、コンピュータを使って新しいものを付け加えることができるようになった。 過去に保存してあった資料の活用により、消失してしまった文化財の復元や、オリジナルを傷めることなく作品の部分的な復元も可能になる。 質感の再現や正確性、制作時間の短縮など、クローン文化財の利点は多々あるが(注5)、オリジナルより進化した姿を鑑貨することができるのも、「模倣と超越」をコンセプトとして据えた成果である。
文化財は人類共有の財産であり、人類に豊かさをもたらすために活用されるべきものである。 劣化する文化財の保存には非公開が最良の選択だが、公開されないと価値が共有できず、本来の存在意義が失われてしまう。 公開は観光などの経済効果にもつながるため、所有者や所有国の財源としても貴重である。 クローン文化財の技術は保存と公開を両立させる新たな手段として、国際社会から大きな注目を集めている。優れた芸術や貴重な文化財が広く公開・共有されることで、 また次の世代へと芸術文化の DNA が継承されてほしいという願いも、「クローン」という名称に込められている。
3.クローン文化財の制作手法と展示例
文化財は様々な素材から作られており、複製制作にあ たっては表面的な形状や色彩だけでなく、その量感や質感を再現することも非常に重要である。絵画を例にとると、デジタル撮影技術の向上により高精細画像を記録することは可能となったが、そのデータを単純に出力しただけではオリジナルの真に迫ることはできない。絵具の粒子感や筆のタッチ、基底材の凹凸や硬軟、光沢など、「平面作品」とされる絵画も実は立体構造を持ち、着彩も絵具の粒子や層によって色が微妙に変化する。 機械的に色を数値に置き換えたり、ベタ塗りしたのでは再現できない複雑なものなのである。 クローン文化財は高精細画像や3D計測、科学分析など最新の技術を駆使しながらも、
制作過程の要所では人の目や手、感覚を取り入れて、これまでの複製が再現できなかった部分まで写し取ること に成功している。 デジタルとアナログを融合した、新しいハイブリッド技術と言えよう。
制作手法についてであるが、絵画など平面作品では線描情報、色彩情報、基底材の質感情報を収集・分析し、作業を進める。おおまかに言えば、PC上で画像処理した元データを、基底材のマチエールを再現した印刷支持体(和紙など)に出力し、手彩色で仕上げるのであるが、作品の状態や材質に応じて制作手順や方法は臨機応変にエ夫する必要がある(注6)。 油彩画や版画など表面の凹凸がある作品では3D計測を行い、高低差まで忠実に再現することができる。また、欠損部や変退色の復元作業も加わる場合はより複雑な工程となる。彫刻など立体作品では作品の3D計測を行い、 造形の元となる3Dデー タを作成する。 可能であればX線撮影による構造分析や素材調査、金属の組成なども調査し、展示会場や用途に応じた素材を用いて3Dプリンターで複製または複製の型となるものを出力する。彩色や古色付け、細部の彫りの仕上げ は絵画の場合と同様に人の手で行っている。
このように、クロ ーン文化財は資料やデータに基づき、且つ芸術性を尊重しながら各方面の専門技術を結集して制作されている。 クローン技術を用いた初めての作品は、1949年に焼損した「法隆寺金堂壁画12面」で、焼損前の姿を復元し2014年4月に公開すると、その完成度の高さからたちまち大きな反響を呼んだ。その後も様々な場でクローン文化財の展示を行ってきた。
クローン文化財は精度の高さだけでなく、展示の利便性も特色の一つである。複製であるためオリジナルほど展示環境や時問の制限を受けず、会場や展示コンセプトに合わせて柔軟に対応することができる。たとえば壁画と釈迦三尊像のクローンによって法隆寺金堂の空間全体を再現すれば、門外不出の国宝を海外で公開することも可能になる.2016年に制作したバーミヤン東大仏の天井壁画は土台の曲面も再現し、実際に天井を見上げるように展示した。手で触れて質感を確かめたり、香りや音とともに五感で鑑賞してもらう展示も試み、好評を得ている.
2017年9月、東京藝術大学大学美術館で開催された「素心伝心」はクローン技術を用いて制作した複製のみの展覧会であった。展示されたクローン文化財は、「法隆寺釈迦三尊像」と焼損前の姿を復元した「法隆寺金堂壁画」、北朝鮮・高句麗古墳群の「江西大墓」、非公開の「敦煌莫高窟第57窟」ミャンマー・パガン遺跡壁画、流出後に第2次世界大戦で失われた[キジル石窟壁画]、イスラム原理主義勢力タリバンによって破壊されたアフガニスタン・バーミヤン東大仏天井壁画「天翔ける太陽神」など、唯一無二の歴史的芸術的価値を持ちなからも、失われたり、実物を鑑賞することが難しい作品ばかりである。それぞれの民族独自の芸術形象の傑作を並置することで、それぞれの「素心」を知り、互いに心を伝え合って平和を育みたいという願いも込め、展覧会タイトルを「素心伝心」とした。様々なメディアに取り上げられ、34日間の会期中に3万7000人以上が来場した。複製のみで構成される展覧会でありながらこれだけの成功を収めたことで、クローン文化財のポテンシャルの高さを改めて感じることとなった。これからも複製だからこそできる画期的な展示によって、本物以上の満足感や感動を与えることを目指していきたい。
4.平和外交への活用
クローン文化財はアナログとデジタル技術の混在であると前述したが、言い換えればそれは芸術と科学の混在でもある。総合芸術大学である藝大が培ってきた人の手わざは、科学を専門分野とする企業や研究機関と連携することで一層生きるものである。藝大はCOIで多くの企業との産学連携事業に取り紐むほか、オランダのマルク・ルッテ首相の訪問をきっかけに、2016年2月、オランダ芸術科学保存協会(Netherlands Institute for Conservation Art and Science:NICAS)との連携協定を締結した。NICASは科学分析を専門とし、藝大にはものをつくる技術があった。二者が協定を結ぶことで正確なデータの提供を受けてものを作り、またデータと照合することでほぼ完全に同じものを作ることができるようになったのである。これまでにボイスマンス美術館のブリューゲル作品やゴッホ美術館の所蔵品の分析データ提供を受け、クローン文化財の制作を進めてきた。ゴッホ美術館を訪問した際、ゴッホ作品のクローン文化財に触れた館長は、「はじめてゴッホに触ることができた」と感動を伝えてくれた。
現在、ゴッホ作「青い花瓶に入った花」(《Flowers in a blue vase》、1887年)を複製中だが、原本はカドミウムオレンジが変色しているため、変色部分を元の色彩に復元したターンを作ってもらいたいとの要望があった。これは、ある意味でゴッホを超えるものが求められていると言えるのではないだろうか。先に紹介した法隆寺金堂壁画も火災で失われたものであり、アフガニスタンのバーミヤアン壁画「天翔る太陽神」も戦災で破壊された。オリジナルの唯物性を重んじる諸外国では文化財の復元ではなく修理事業が先行してきたが、クローン文化財の技術はこうした失われたものを復元することも可能にする。
日本には古くから模倣の文化や、物は滅びても魂が永遠に生き続け再生・継承されていくという文化伝承、宗教観があり、ものを甦らせる新しい考え方を国際社会においても牽引できると考えている。こうしたクローン文化財の取り組みは、平和外交の切り札としても期待されている。2016年5月26日、第42回主要国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)のサイドイベント「テロと文化財-テロリストによる文化財破壊・不正取引へのカウンターメッセージ」では、破壊されたバーミヤン東大仏天壁画「天翔る太陽神」と、焼損した法隆寺金堂壁画第6号壁のクローン文化財2点を展示し、G7首脳へクローン文化財について解説を行った。「天翔る太陽神」は異なる宗教が混在していた5世紀の様相を伝える壁画だ。中央に描かれた太陽神はゾロアスター教の神とされているが、頭上には風神、足下には天使がおり、ギリシャの影響と思われる馬なども描かれている。インドやペルシャ、ギリシャといった東と西の宗教がきれいに混在した数少ないもので、現代では想像できないほど、宗教が混沌としていたことが分かる貴重な作例である。ギリシャ文明、ゾロアスター教、仏教が混在した東西文化の交流の象徴であったバーミヤン壁画を復元することで、こうした壁画が持つ真の意味を伝えていけるのではないだろうか。千数百年前以上前に描かれた人類の遺産のクローン文化財を通して、宗教初争が激しさを増す現代にテロや戦争のない平和な世界を創り出すことの尊さを発信した。
この伊勢志摩サミットをきっかとして、同年12月、アラブ首長国連邦のアブダビで行われた「紛争地域における文化遺産保護のための国際会議」にもフランス政府の招待で参加し、クローン文化財の利点を世界にアピールすることができた。他国はこれまでの文化財修理事業の成果報告などに終始したが、唯一日本だけがクローン文化財の技術を用いて未来に向けた提案をすることができた。 世界各地で起きている宗教・民族問題が関わった戦争や紛争の終息後は、いずれ流出文化財の返還も問題になるだろう。今後は最善の解決策として、まったく同じクローンを制作し、文化財を共有していくことを提案したいと考えている。単なる複製にはオリジナルと同等の価値はないが、欠損部の復元や可動性などの付加価値を加えたクローン文化財であれば、場合によってはオリジナル以上の価値を見出し選んでもらえるようになるはずだ。流出文化財返還の先例として、アフガニスタンから流出した仏像や壁肉断片などの文化財には、ユネスコ本部の国際法の専門家によって認知され、売買ではなく説得により返却してもらうことが決定したものもある、略奪され流出したものはこのように保護され現地への返還が叶うこともあるが、完全に破壊されてしまったものは、過去に写された写真資科でしか見ることができなくなる。 クローン文化財の技術は、そうした失われた文化財をものとして再び甦らせることができる。文化の共有を実現する手段となりうることが、クローン文化財の最大の意義と考えている。
保護、保存が急務となっている文化財は世界中に存在する。これまでにアフガニスタン・バーミヤン遺跡、ミャンマー・バガン遺跡、中国・敦煌石窟、北朝鮮・高句麗古墳、中国・キジル石窟、タジキスタン・ペンジケント遺跡発掘壁画などのクローンを制作してきた。最新の成果としては、ニネヴェのレリーフのクローン制作がある。 古代メソポタミアにあったアッシリアの都市ニネヴェ遺跡には造形的に優れたレリーフが多数存在していたが、国外流出や破壊により現地にはほとんど遺されていない。本事業ではNICASと連携し、2D画像から生成した3Dデータを元に、大英博物館所蔵の名品を参考にしながら、当時のレリーフの質感と造形を再現した。さらに2D画像ではすでに失われた眼の部分などを復元したレリーフも併せて制作し、オランダ国立古代博物館(ライデン)の創立200周年記念展覧会(2017年11月~)にて成果を発表し、開会式では研究員が口頭発表を実施した。
これまで文化財はただひとつのものだったが、クローン文化財によって、その文化を多くの人と共有し、次の世代に伝えることができるようになった。文化財の破壊と流出という悲劇を二度と繰り返さないためにも、人間の英知を結集して文化財を救い、現地の復興と発展を支える次の世代へと引き継いでいかなければならない。クローン制作の技術で特許を収得した理由は利益を得るためでなく、技術情報をきちんと登録・公開することで技術を守り、各国各地域に技術を正確に伝えて人材育成につなげるという目的があったためだ。将来的には現地の人々に自国の文化を顧み、継承できるようになってほしい。クローンは所詮クローンであってオリジナルと同等の価値はないという意見や著作権・二次使用権の所在、贋作の防止など、まだいくつかの課題はある。問題解決に真摯に取り組みながら、まずは多くの人に実際にクローン文化財を見てもらい、触れてもらい、その無限の可能性を実感してもらいたい。本稿も、日本が誇る技術と芸術が持つソフトパワーの、平和外交への有効性を再認識してもらうための一助となれば幸いでる。